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■「銀月館」関係の連絡・告知、及び管理人ゆうづきの日々の雑感等■

明智光秀の人物像

1月6日に細木数子の番組で日本の歴史の細木流解釈番組が放映されてました。とりあえずこの手の番組は結構関心あるので、録画しておいたのを今日になってやっとみました。

ここで、本能寺の変で明智光秀が織田信長を討った理由について、
「その遠因は、信長の望む茶器を手許に持ちながら売ろうとしなかった堺の商人に対し、信長が重税を課したこと。それに反発した堺の商人が明智光秀に相談し、軍資金や情報を提供した。文武両道に優れ、知性も教養もありながら信長と折り合いの悪かった明智光秀は、その支援を受けたことで信長を討った。」

というものが紹介されていました。
これはこれでなるほど!と納得も行くし、寧ろ現実的なんですよね。こういう背景もおそらく実際にあったでしょう。



けれど、個人的には、昨年の「功名が辻」で描かれていたように、

「織田信長は最終的には天皇家を廃して自身が“国王”になろうと考えており、それを知った明智光秀が裏切り者の汚名を覚悟し、水際で阻止した」
(もちろん信長との感情的な反目はもともとあった上に、「功名が辻」では信長の妻・濃姫との葛藤もあったりして、光秀としては信長に対してはぎりぎりまで“耐え難きを耐え”た末に、ついに“絶対不可侵の天皇家”に対してまで魔手が伸びようとしたことでついに行動に及んだというもの)

という見解の方が衝撃的だったし、劇的でした。
こうした精神的背景の上に、上記の、堺商人の資金と情報が後方支援したと考えても別に矛盾はないですしね。

きっと明智光秀は、本当は諸葛亮孔明のような軍師になりたかったんだと思うんですよね。天下人ではなく。だから主君に対して、私情を排し、ぎりぎりまで忠誠をつくすことこそ自分の道だと考えて律していたんじゃないかと思うのです。本来は、主人に謀反を企てることは彼にとって最大の禁忌だったと思われます。
ところが、その主人が、ついに天皇を追い落とそうとしている。
ことここにいたって、最上位の主人・天皇に従うものとして、謀反人信長を討つに至った…

歴史の真実は定かには分かりませんが、この解釈はそれぞれのキャラクターにとってあり得る構図であり、何より明智光秀の状況をより劇的にしていると思いました。さすが司馬遼太郎(いや、原作は読んだことはないのですが)。
というわけで、私は昨年の『功名が辻』の「作品の力」で明智光秀の人物像が一変しました…というのが結論です。すごいことですよね。



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